カンボジア・タイ旅行記出発へ

(1998年4月29日〜1998年5月5日)

最終更新日:1999年01月14日 Copyright (C) 1998, Hidetoshi WATANABE


通貨に関する情報(旅行当時)


今回の訪問都市

今回の陸路越境


今回の旅行TIPS


固有名詞の表記方法

地名、通り、ホテルの名前等は、カタカナで表記しています。


旅程

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今回の旅行TIPS


4月29日、リコンファームから始まった旅 (東京→バンコク)

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4月20日、黄金週間の旅行1週間前。エア・インディアから連絡が来た。予約しているバンコク行きAI305便の到着が2時間ほど遅れるとのことだった。そして最後に彼女はこう言った「ではリコンファームを受け付けました。」往復の航空券で復路便の出発に備えて行うリコンファーム。そう、今度の旅はバンコクへ「行く」のではなく、「帰る」のだ。昨年夏にバングラデシュ旅行をした時にバンコクの旅行代理店で買っビジネスクラスの1年オープン航空券。その時は往路を使って帰国した。そして今回、残りの復路でバンコクに帰るのだ。4月29日成田出発のバンコク往復格安航空券は10万円以上する。バンコクでほんの気まぐれで買った航空券にこれだけの価値があったのだ。格安でビジネスクラスに乗れることも嬉しかったが、それ以上に、出発日の価格変動を気にせずに都合のいい日に予約が入れられることの方が数倍嬉しかった。

成田空港ビジネスクラス用ラウンジ4月29日、ビジネスクラス用チェックインカウンタにチェックイン。今回の旅行で最も豪華な乗り物である。成田空港のビジネスクラス用ラウンジに用意されていたのは酒類とジュース類、そしておつまみ。バンコクではフルーツ食べ放題だったのに比べるとかなり見劣りする。機内のビジネスクラスは空席だらけ。離陸しても、機内食もたいして高級ではなく、ビジネスクラスのありがたみはほとんど感じられない。幅の広いシートとフットレストのおかげでぐっすり眠れたのが幸せだった。でも、なんで行きも帰りもジャンプシートの前でしかもそこには男性客室乗務員が座るんだ。それが不満だ。

バンコク国際空港に着くと、いつものようにむっとする熱気が迎えてくれた。空港に着いてまずしたことはタイ国鉄の時刻表をもらうこと。カンボジアからタイへは陸路で越えようと思っていた。その情報集めである。その後はいつものようにバス停でバスを待つ。バス停には係員がいて軽快に笛を吹いてバスの誘導をしている。私の姿格好でカオサン通りに行くことが分かったらしく。英語で「バスが来たら教えるからベンチに座っていろ」と言われた。昔来た時は、はるか前方に止まったバスに乗り遅れまいと皆必死に走って飛び乗ったのだが、この軽快な係員のおかげでみな安全にバスに乗り込んでいる。しかし目当ての59番バスは待てど暮らせど来ない。待ちくたびれて他のバスで途中まで行って乗り換えようとしたところに、やっと来た。バス停に着いてから実に50分が過ぎていた。なぜか係員と握手をしてバスに乗り込む。

今回は初めての海外旅行一人旅である。今までは必ず2人以上で旅していたので、ゲストハウスはツインルームを探せばよかったが、今回はそうはいかない。シングルかドミトリーを選ぶ。カオサン通りでの宿探しの途中で見つけたシルクロードカフェゲストハウス。エアコン付きドミトリーTHB65。エアコン付きという言葉に惹かれたのでここに決める。部屋は、カオサン通りから北の方に歩き、運河を渡った所にあった。宿泊客はみな日本人。どうせ明日は朝一の空港バスで出発するのだ。ドミトリーで十分だ。

部屋の宿泊者と共に遅い夕食を取りにカオサンへ向かう。カオサンに宿泊している日本人旅行者は大体何日も連泊している。そうすると自然と友達ができるのだろう。結局途中で合流した日本人と共に西洋風のレストランで3人で夕食。スパゲッティを頼んだつもりが、肉野菜炒めの様なものを注文してしまい、しかも"SPICY"。辛い。何とか8割ぐらい食べたところでダウン。でも満足だった。


4月30日、初めて見たアンコールワット (バンコク→シェムリアップ)

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4:15起床。適度に効いたエアコンのおかげで気持ち良く眠れた。カオサン通りで昨夜申し込んでおいた5:00発の空港バスに乗る。早朝なので渋滞もなく、6:00前には空港に着く。今日の飛行機はバンコクエアウェイズのシェムリアップ行きPG930便。バンコクからアンコールワットのある町シェムリアップまで直接行けるのでとても便利だ。しかし便利な反面格安航空券はなく、今回の片道航空券はほぼ正規料金を払っている。多分成田までの片道格安航空券よりも高いはずだ。しかし、全日程が7日しかないこの旅行で一番大事なことは、お金をかけてでも時間を節約することなのだ。

シェムリアップ行き飛行機に乗り込む機体はプロペラ機。乗客は1/3は日本人だ。日本と全然関係ない路線でこれだけの日本人旅行者を見るのは初めてだ。わずか1時間の飛行でシェムリアップに着いてしまうにもかかわらず、しっかり機内食が出てきた。簡単なパン食だったが、朝食がまだだったのでこれはありがたい。

シェムリアップの空港は1本の滑走路に申し訳程度の空港ビルがあるだけののどかさだ。それでもビザカウンターがあり、その場でビザを取得できる。USD20。入国申請書類に記入不備があったので入国に手間取る。そうこうしているうちに日本人旅行者はさっさとタクシーで市街へ向かってしまった。私は一人空港に取り残されて、客にありつけなかったタクシードライバーに取り囲まれるはめになった。いきなりやばい雰囲気だ。とりあえず一番安全そうなワゴン車タクシーに乗ることにした。市内までUSD1。頼むから"Hold Up!"なんて言い出すなよ。

そんな心配は杞憂で、難なくタケオゲストハウスに到着。このあたりは日本人が多く泊まるゲストハウスが並んでいる。しかしタケオゲストハウスは満室らしい。次にチェンラゲストハウスを訪ねるがここもシングルは満室。空港から私を運んできた運転手が別のゲストハウスを紹介しようとするが、そんな話に乗るくらいなら、日本人がよく泊まるもう一つのゲストハウス、アプサラアンコールゲストハウスに行ってみる。

ひとけのないアプサラは、部屋は空いていたが設備はかなりぼろい。とりあえず今日はここにするか。チェックインして部屋で休んでいると、宿のおやじがやってきて、英語で「日本人には昼食と夕食を出す」と言ってきた。只なのは嬉しいが、チェックインした時は日本人に見られなかったということか。嬉しいのが半分、がっかりしたのが半分の気持ちだ。

アンコール遺跡はあまりに広大なので見物はバイクタクシーをチャーターして周る。宿で紹介してくれたバイクタクシーは1日5ドル。遺跡見物もいいが、今日は市内を見てみたいので、バイクの運転手にあちこち連れていってもらう。市場、銀行、航空会社オフィス、ツーリストオフィス、郵便局。どこへ行くにもバイクで5分とかからない。小さな街だ。民家の建物は木造2階建てでそれほどみすぼらしくない。通りを走る車は少なく、その分バイクがやたらと多い。

12時になったので宿に戻ってみると。日本人旅行者の姿があった。みな昼食を待っているようだ。適当なおしゃべりをして食事が出てくるまでの間の時間をつぶす。食事は皿によそったどことなく麦っぽいご飯と、おかずが1皿。昼食にはちょうどいいが、夕食も同じだと物足りないかもしれない。そしてお茶。お茶はとても赤い色をしている。どことなく鉄の味がするのはお茶がそういう味なのか水に鉄が混入しているからなのか、それはわからなかった。

夕方になって、夕日を見に行くことにした。バイクに乗って25分程走る。突然右手に人工の堀が見えた。堀の対岸は一面に塀が並び、ずっと奥には写真で見慣れたトンガリ帽子が見える。アンコールワットだ。でかい。バイクは30km/hで走っているのに、アンコールワットはほとんど動かずに見え、堀はどこまでも続いている。これが、アンコールワットなのか。まずはその大きさに驚かされた。

プノンバケンからの夕日今日の目的地は小山の、プノンバケン。バイクを降ろされた場所からは、急な斜面を石畳の斜面が真っ直ぐ続いている。軽く30度はある斜面に、なぜかまっすぐに道を作って登るようにしている。なぜジグザグにしないのだろうか。謎だ。15分くらい昇ってやっと石の砦が見えて来た。旅行者、ガイドして金をせびる子ども、お土産や飲み物を売る少女。それぞれの目的は異なるたくさんの人がこの「一日の終わり」に参加するために集まっていた。はるか先に湖があり、その奥に夕日が沈もうとしている。残念ながら地平線近くは雲がかかっていたため、地平線に沈む夕日は見ることができなかった。ここプノンパケンは、きっと遺跡の全貌が見渡せるのかと思ったら大間違い。360度見渡す限り森や草原で、1個所だけ、アンコールワットのトンガリ屋根が見えるだけだった。

宿に帰って夕食、同宿の日本人旅行者はみな仕事を持っていない。会社を辞めて旅に出た人達である。もう何か月や1年以上も旅をしている人ばかりだ。旅程はバラバラでも、インド、中国、ラオス、いろんな国を周っている。とても楽しそうでうらやましい。


5月1日、日の出を拝む (シェムリアップ)

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アンコールワットからの日の出今朝は5時に起きた。外はまだ暗い。今日はアンコールワットに日の出を見に行くのだ。昨日と同じようにバイクの荷台に跨り遺跡へと向かう。日はまだ出ていなかったが、空はすでに白く、まさにこれから一日が始まろうとしていた。そして不思議なほどに涼しかった。前日にカンボジアに着いて昼、午後、夜と過ごしたが「涼しい」時間帯は全くなかった。日中は真夏の東京のように高湿な猛暑た。それは夕方や夜になっていくらか衰えても決して涼しくはならない。汗だくで宿に戻り、毎回必ず行なう儀式のようにシャワー室に直行し、さっぱりした気分で部屋のファンに当っている時だけが、唯一涼しい時だった。しかし今は本当に涼しい、というより清々しかった。夜明け前のひとときがそれだけ貴重なものであることが、この朝初めて分かった。そんなことを考えていると、急にバイクが止まった。遺跡のゲートだった。ゲートは午後5時に無人になるため、昨日は無料だったが、今朝は遺跡の入場券を買わなければいけないのだ。3日券でUSD40。現地の物価を考えるととてつもなく高い。それだけあれば2週間は生活できるはずだ。アンコールワットに着くと、空はかなり白くなっていた。アンコールの門を入ったところには日本人をはじめ外国人観光客が、日の出を見るという同一の目的を持って集まって来ている。「出るよー」誰かが日本語で言った声に誘われて、3本に見える尖塔の左をかすめる様にして、真っ赤な朝日が現れた。「日の出だ。」私は頭ではなく体全体で一日の始まりを感じた。そして、この巨大な寺院が、自分は背後から登る日の出を見せるために、それだけのために真西を正面としているのだ。とまるで言っているかのようだった。そう思えるほど美しかった。

アンコールワットの内部はとてつもなく広かった。回廊が二重にまわり、内側にはトンガリ帽子の形をした尖塔が5本そびえている。尖塔の一つ一つには四方に巨大な顔が掘ってある。大きな石のブロックを無数に積み上げているため顔は縦横に筋が入って隙間だらけだったが、一つの石に収まりきれないくらいの巨大な顔を、建物の一部として彫刻しているのがとてつもなく信じられなかった。尖塔だけでなく、壁、柱、天井など、床以外の平面という平面の至る所には彫刻が施してあった。この寺院が作られたのは数百年前のことだ。建立当時は今のような崩れかかった姿ではなく、彫刻も鮮明で、ほとんど落ちてしまった天井も全て存在していたに違いない。その「完成予想図」を想像すると、現在の姿とは比べ物にならないほど豪華で精巧な世界がわたしの周りに広がった。遺跡にあまり興味のない私でも、これには感動するほかなかった。

時刻はもう8時だ。朝からまだ何も食べていないのでアンコールワット前の食堂で朝食。ご飯と肉野菜炒めのようなものが出て来た。味はまあまあだがそれより蝿がすごい。必死に追い払うが無駄な努力である。それを見た店のおばちゃんが近くで扇風機をかけてくれた。これで少しは蝿が追い払える。店前の土産物屋がアンコール遺跡の日本語ガイドブックを売りに来た。最初USD7と言っていたが、相変わらずこちらは「高い」年か言わない、3ドルなら買うと言ったら。「市場でUSD3+KHR2000で仕入れたのだからUSD3では売らない」と言った。本当なのか嘘なのか、仕入れ値を簡単に明かすとは変な価格交渉だ。ついにUSD3でもいいといって来たが、ガイドブックはもう持っているので「USD3で売ったらあなたは損をしてしまう。別の客にもっと高い値段で売りなさい」と言って買わなかった。食事の方はKHR4000。ご飯がKHR1000とおかずがKHR3000だった。USD1強だが、現地の物価にするとかなり高いはずだ。さすが観光地である。明日の朝はもっと工夫しよう。

バイクの運転手が「次はバイヨンに行く」と言った。アンコールワットの隣にあるアンコールトムのことだ。アンコール・トムの入り口の門にも、巨大な尖塔があり、そこにはアンコールワットと同じように顔が掘ってあった。入り口の門の高さは20メートルはある。これだけのものを人力だけで作ったのだ。この大きさと、そして恐ろしいくらいに統一化された造からは、当時の技術力の高さ以外に、アンコールの人々の深い信仰心も感じることができた。私は今、アンコール遺跡に来て、なにげなくそれを見上げている。しかし、これは古代のテーマパークでもなければ観光客向けのセットでもない。それを想うと、この巨大な街が観光地として持っている顔は、その一面にすぎないだ。

バイヨンでは、日本人の団体旅行者に出くわした。ガイドも日本人だ。私が傍らでぼうっとしているとガイドの説明が嫌でも耳に入ってくる。日本で買ったアンコールの案内書は持って来ていたが、やはり現地で説明してくれるとよく分かる。しかし、その日本人の団体から冷たい視線を感じたような気がした。その途端に、遺跡を見ること自体どうでもいいことに思えてしまい、団体を避けるようにさっさと中に進むことにした。中心部の尖塔の真下には立派な仏像があり、線香が絶えなかった。線香を渡してくれるおばさんがいるので受取って供える。そうすると必然的に賽銭を出すはめになる。しかし一番小さいのはKHR500札しかない。やはり寺院に行く前には小額の小銭は必須である。

いったん宿に帰って昼食。宿に帰ってから聞いた話だが、私と同じ宿に泊まっている日本人旅行者も、今朝団体旅行のガイドの説明を聞いていて、ある団体旅行者から露骨に注意されたという。宿でその話をしてくれた彼女は、数ヶ月も旅を続けていたのだが、日本人の嫌な面を見せ付けられてかなり残念そうだったのが印象的だった。しかし、私が逆に団体旅行客の一人の立場だったら、どう言うだろうか。そう思うととても複雑な気持ちになった。

昼食後はそのままお茶を飲みながらおしゃべり。鉄の味がするお茶だが、とても美味い。こうやってどうでもいい話をしながら無駄に時間を過ごすのが最高の贅沢である。


5月2日、のんびりと巡る遺跡の旅 (シェムリアップ)

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5月3日、道はタイへと続く (シェムリアップ→バンコク)

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まだ暗いうちに起きる。今日はいよいよ陸路でタイに行くのだ。出発の準備をしていたら、宿の人が迎えに来た。タクシーといっても、実体はトラックである。この室内と荷台に乗り合うのだ。昨日一緒に話をした日本人旅行者も一緒だ。車はまず市場へ向かう。すぐ出発するのではなく、やはり市場で客待ちをするようだ。その間に食糧を買い込んだり写真を撮ったりするが、こんなに悠長にしていてはタイのアランヤプラテートからの列車に間に合うかどうか微妙だぞ。結局車は1時間ほど市場で客を集め、さらにタケオゲストハウスのあたりに戻ってきてた。ここで日本人旅行者がもう1人乗り込む。カンボジア人に囲まれて、私たちはタイ国境のポイペットを目指すことになった。

街を出るところに、チェックポイントがあり、警察が検問をしていた。しばらく待たされるのかと思ったら荷台の方で何らかの取り引きがあったようで、すぐに出発した。要するに賄賂である。渡す方も受け取る方もそして周りの者もそれを平然のことと捉えていた。これがこの国の「常識」なのだ。

街を出てしばらくは舗装された道が続いたが、すぐに穴だらけの未舗装道路に変わった。それでも車は平気で飛ばすので、乗客は上に揺れたり横に揺れたりと大変だ。道が悪いところでは沿線の畑に降りてそこを走る。砂埃がすごい。前席も後席も荷台も人が一杯に詰まっていて身動きできないが、エアコンが効いているので室内の方が絶対快適である。未舗装道路でも、舗装の崩れた跡はある。昔はちゃんと舗装してあったのだが、内戦のために道は傷み、破壊されたのだろう。橋のコンクリート製欄干には銃弾の跡がいくつもあった。

途中のシソフォンという町で車を乗り換えると聞かされていた。風景が突然町になり、車が停まった。降りると、「Change car, no money.」と言われた。てっきりシソフォンでまた金を取られるのかと覚悟していたが、その辺の連絡はちゃんとできていた。別の車に乗換え、ポイペットを目指す。しかし時刻はすでに11時をまわっている、タイからバンコクまで、今日中に着けるかどうか怪しくなってきた。

相変わらず車は未舗装の道路を飛ばす。車内の揺れにはすっかり慣れてしまい、うたた寝したりと余裕である。そして、ついにポイペットに着いた、前方に目を凝らすと確かに国境らしい門が見える。あの向こうはタイなのだ。日本人3人組は国境の感慨を楽しむ間もなくひたすら歩いた。

カンボジア側の国境にあった仏像国境の狭間からカンボジアのゲートを望む国境を越える廃線の鉄橋陸路の国境では地元の人が自由に出入りしていることが多いので、うっかりすると出入国審査をしないで国境を越えてしまう恐れがある。これはれっきとした密入国なので、忘れずに審査場へ行く。道路脇にある場違いに立派な建物が出入国審査場だった。中には係員が3人もいてのんびりと仕事をしている。係員の一人が「1ドルよこせ」と英語で言っていたが、適当にあしらって無視する。これで無事にカンボジアを出国できたのだ、感激である。

タイ側の国境はカンボジアのそれに比べると近代的でしっかりしている。窓口も入国、出国に分かれているし、中にはコンピュータがあり何やら入力している。やはりカンボジアとタイは違うのだ。無事に入国できたが、列車の発車まで15分くらいしかない。急いでトゥクトゥクを拾う。2台しかいないので価格交渉は完全に売手市場。結局駅まで60B、むちゃくちゃ高いのだが、この際バンコク行きに列車に間に合うことの方が重要である。

駅に着くと、列車はまさに発車しようというところだった。切符を買って、乗り込んだらすぐ発車。間一髪で間に合った。ほっとする。車内はだんだんと混んできて超満員になった。窓の外には豊かな田園風景が広がっている。そう言えば腹ペコである。朝フランスパンサンドイッチを食べたきりで、何も食べていないのだった。そこへうまい具合に車内弁当売りがやってきた。炒飯を発泡スチロールの皿に梱包した物でとても弁当らしい食べ物だ。タイの車内では串刺しの焼き肉などが裸のまま平気で売られていて思わず躊躇してしまうが、この弁当はなんとなく安心できる。1食THB15、安くてうまい。

バンコクには定刻より1時間以上遅れて到着。バスでカオサン通りへ向かう。期待と心配に囲まれてこのカオサン通りに来たのがわずか4日前。瞬く間だったが、2人で旅行するのとはまた別の、見知らぬ人との語らい、一人ならではの不安を経験して。カオサン通りに戻って来たのだ。無事帰って来た記念にシェイクとビールで乾杯。楽しい旅だった。明日はバンコクで買い物かな。


5月4日、買い物のつもりが… (バンコク)

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昨日のシェイクとビールがいけなかったのだろう。未明から苦しくなり。嘔吐が止まない。熱も高い。とても外へ出て行く元気がなく、ひたすら部屋でじっとしている。部屋にエアコンがあるのが唯一の救いだった。結局やったことといえば、カオサン通りに出て果物を買い、それを食べたこと。他に何もする気が起らなかった。

夕方になって元気が出てきたので。買い物に行ってみる。バンコクには何度も来ているのだが、3年前に初めて来た時を最後にバンコクにを観光したことが殆どなかったので、当然デパートなどで買い物をしたこともない。伊勢丹に行ってみる。渋滞にはまったバスでたどり着いた伊勢丹は、やはり日本の百貨店だった。明るい店内。エスカレータ。まばらな店員。そこに売っている物がタイ製品やタイ向け製品であるのを除けば、ここが日本だといっても分からないだろう。ニッカド電池の充電器を探したがあまりよさそうのがなかったので買わなかった。


5月5日、たくさんの想い出を胸に帰国 (バンコク→東京)

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暗いうちに起きて、宿をチェックアウトする。今回3泊したシルクロードカフェゲストハウス。ドミトリーだがエアコン付きで安くて快適でお得だった。朝一番の空港バスに乗る。6時ごろに着いたバンコク国際空港では、シェムリアップ行きPG930便のチェックインを受け付けていた。今回の旅のスタート地点にまた立ったのだ。この便から旅が始まって、今日本に帰るために自分がここにいるというのを考えると感動で全身が痺れた。

ユナイテッド航空UA???便は、黄金週間帰りの日本人を満載して、満席だった。今回の旅行では、すべての行程が一人だったが、逆にそのためにたくさんの人に出会い、多くの人に助けらた。そして、すべての計画、すべての判断を自分一人でしなければならないこと、自分の意志だけで旅をしなければいこと。どれもが新しい経験だったが、一人旅にもそのよさがあることが身に染みた。飛行機の中で回想しながら、日本に着いた。


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