最終更新日:1998年03月30日 Copyright (C) 1997,1998, Hidetoshi WATANABE
道中の間ほとんど一緒に行動した ちむ君の書いた バングラデシュ・タイ旅行記もあわせてご覧ください。
地名、通りの名前等はカタカナで、人名やレストラン、ホテル名などは英語で記述しています。
今日も成田空港は人々でごった返している。家族連れの姿が多い、やはり夏休みである。まずはバンコクへと旅立ち、そこで相棒のちむと合流する。バングラデシュへは2人で旅行する。バンコクは東南アジア旅行のハブだ。日本からの航空券はバンコク往復で、そこから先ダッカまではバンコクで購入する。その辺は先にバンコクへ行ったちむが万事手配してくれているはずである。さて、今日のUA821の座席は11K、エコノミークラスの最前列窓際だ。目の前は非常口ではなく、壁。そのため足元や窓との隙間がかなり広い。幸運である。隣席は水産関係の仕事をしている人で、タイへ魚の売買へ行くという。何とマイレージプラスのプレミアム1Kメンバで、客室乗務員とも顔見知りであるところがすごい。旅の話でしばらく盛り上がる。機内食は牛肉の煮込みかチキン照焼きご飯の選択。ここはチキンを選んで、ご飯でタイを味わうことにしよう。考えてみればバンコクへ行くときはこのUA821しか使っていない。たまには他の航空会社も使ってみたいものだ。
予定よりも1時間遅れてバンコク着、入国審査も難なく済み、到着出口でちむと合流。ちむの後輩(赤塚君)を紹介される。ちむは赤塚君と6日間、タイを旅行していたのだ。さっそく歩道橋を渡り夕食にする。ドンムアン駅の辺りに出ると、そこには去年と同じ屋台が去年と同じチャーハンを売っていた。このチャーハンを食べると、これから旅行を始めるのだという実感が湧いてくる。キュウリに似ているが違う野菜と、それほど辛くないタイ米のチャーハンにナンプラーをかけて食べる。食後、赤塚君を見送る。3人で空港内をうろうろして、チェックインや空港税、出国の仕方を確認する。赤塚君との数時間の旅行はこれでおしまい、さようなら。
再び空港の外に出て、今度は市街へ行くバス乗り場へ向かう。59番のバスは1本でカオサン通りの近くまで行く。料金はTHB3.5。バスに乗っていると隣のサラリーマン風の人の鞄がぶつかった。「すみません」「いいえ」。あれ?なぜ日本語なんだ?「日本語話せるんですか?」「はい」…。彼はタイ人だが日本語がとてもうまい。仕事で日本に1年間いたことがあり、その前にバンコクで日本語学校に通ったそうである。「カオサンへ行くんでしょう?」とすっかり我々の行動を読まれている。彼は日本では「立川の近くの福生」に住んいたという。良く「日本の○○に住んでいました」といってくる日本人相手の詐欺目当ての人はいるが、福生などという地名が出てくるということはきっと本当だよなあ、と思う。「また日本に来てください」と言っておいた。彼は途中で降りた。もう時刻は10時である、お仕事お疲れさん。結局バスは渋滞にはまり、空港から2時間以上走ってやっと民主記念碑に着いた。ここでバスを降りると、カオサン通りまではすぐだ。時間が遅いのでカオサン通りも少しは静かかと思ったが、西洋風のレストランは相変わらず盛況でうるさい。ちむが確保しているMAM'Sゲストハウスに行く。
6時45分起床。天気はくもり。窓の外のカオサン通りも今は静まりかえっている。シャワーを浴び朝食。宿の人はまだ寝ている。おいおいもう7時だぞ。通りにある小さな洋風レストランに入る。サンドイッチ(THB25)とレモンサイダー(THB20)を食べる。結構いい値段だ。カオサン通りはかなり物価が高いらしい。その後宿をチェックアウトする。
今日は11時25分の飛行機でバングラデシュの首都ダッカへ行く。そのために前日ちむが8時発の空港へのバス(THB70)を手配してくれていた。バスが来るはずの旅行社の前で待つ。しかし、全然来ない。結局8時のバスは行ってしまったらしくて次のバスは9時だということだった。「8時前から指定された場所でバスを待っていたのに行ってしまったとはどういうことだ」と文句を言う。が、旅行社がバスを運行しているわけでもないので実はどうにもならないのだ。旅行社のおやじは「今日は土曜で渋滞もなく、空港までは45分で行くので大丈夫」と言うだけ。仕方がない、9時のバスを待つ。
9時のバスが来たので乗り込む。寝冷えで腹の調子が悪いので安静にして寝ている。道路は渋滞もなく、バスは高速を恐いくらいに飛ばしたらしい。本当に45分で空港に着いてしまった。ダッカ行きTG321便にチェックイン。いきなり時間に余裕ができた。
タイ航空の機内は紫色でまとまった配色でとても落ち着く。機内食はシーフード。エビと魚が歯ごたえがある。タイ米のご飯ではなかったところがちょっと残念。バンコク〜ダッカ線だがこんな路線に他の日本人客はいるだろうか。果たして、4〜5人の日本人の連れと2人組のカメラマンらしい人達がいたのである。おそるべし日本人旅行者。
2時間半でダッカのジア国際空港到着。思った以上に近代的な建物にびっくりした。入国審査前のビザカウンタに行くが、どうやら日本人は少なくとも1週間の滞在ならノービザらしい。今日は土曜日なので、取りあえず両替だけしておく。入国審査はパスポートをコンピュータで照合するため自分のパスポートが端末のところまで行ったり来たりする。なくなりはしないかとひやひや物だ。空港の外に出ると、タクシーの客引きが待っていた。が、ベトナムのホーチミンほどひどくはない。色々すったもんだの末、市街までオートリキシャ100tkで交渉成立。運転手は英語がうまく、おしゃべりで、空港〜市街間の道路の話、日本の話で盛り上がる。でも頼むから前を見て運転してくれ〜。
取りあえず第一候補の宿、Grand Palace Internationalへ行って見る。ダブルで300tkと結構高い、だが部屋を見せてもらおうとしたら断られた。他の宿を探しに行くがこちらは満室で断られたので、結局Grand Palace Internatilnalにする。入ってみると、清潔でいい部屋だ。シャワートイレ付き、電話もあり、ゲストハウスというよりはホテルである。
シャワーを浴びて街に出た。しかし歩いても歩いてもエンジン屋やファン屋、鉄板屋が続き、食事のできそうな店はない。Lonely Planetに載っているレストラン、ナワパー通りにあるCafe Al-Razibめがけて歩き、入ることにする。良く分からないままボーっとしていると店員がメニューを持ってきた、ではなく「言ってきた」。バングラデシュのレストランはほとんど「メニュー」はなく、メニューは口頭で注文する。魚とライスの料理はあるらしいが他はわからなかったのでそれを食べる。他に小魚の薬味のようなものが出てきて、これをかけて食べるらしい。要するに魚のカレーライスである。しかし全然辛くない。ご飯もうまく、どんどん食べられる。ヒーヒーいいながら食べていたタイ料理のことを思うと、この国の食事はとても幸せである。飲み物と合わせて二人で124tk。うまくて安い食事だった。
バングラデシュではダッカともう一都市訪れる予定でいたので、今日はそのための情報集めをする。長時間歩くのはつらいから、リキシャに乗ってみた。乗る前に行き先を言って価格交渉をするのはこの手の乗り物の基本。しかし他の国と違うのは通りがかりの人が人垣を作ること。彼らは私たちが英語で言った行き先をベンガル語にしてリキシャの運転手に伝えたり、運賃の値踏みをする。おかげで運転手が高く吹っかけてきた場合は「あっちのリキシャの方が安い価格を提示しているぞ」と教えてくれる。とても信じられない親切な光景だった。鉄道駅とビーマンバングラデシュ航空事務所へ行き、時刻表などを手に入れる。この国ではどこでもそうだが、ガイドブックを広げて道を探しているとき、リキシャに乗ろうとしているとき、川や駅を見てボーっとしているようなときも、その辺にいる人がたくさん集まって来て取り囲まれてしまう。「国はどこだ」「どこから来たか」「どこへ行くんだ」「バングラデシュは初めてか」など色々英語で話しかけられる。みんな外国人旅行者にとても興味を持っているのだ。物乞いをする人もいるにはいるが、スリや強盗をする人には会わなかった。しかし、この国で一人物思いにふけるようなことはできないのだろうか。
今度は市場へ行って買物をしようと思い、再びリキシャを探す。市場に着くと、運転手が「しばらく待っているから買物が終わったらまた来い」と言う。まだ運賃を払っていないのにいいのかな。と思いつつも市場へ行く。ちょっとした筆記用具やメモ帳をいれるための鞄を捜したがいいのが見つからず断念。リキシャに戻ると、さっきの運転手が市内をあちこち案内してくれるというので、警戒しながらも周ってもらう。大学、パキスタンからの独立記念碑、劇場、国鳥であるツバメの像など、彼は事あるごとに我々を振り返り説明してくれる。最後に高額のガイド料を請求されたらまずいと思い、彼にいくら払えばよいか聞いたら、「君たちの払いたい額を払えばいい」といってきた。なかなかうまい答えだ。あっちこっちを少なくとも50tk分は走ってもらっているので100tk渡すことにする。ちょっと危険を感じたが、こちらから彼を夕食に誘って我々の旅の相談に乗ってもらうことにした。一旦ホテルへ戻り、念のため全ての貴重品を部屋に置き。何かあっても大丈夫なようにしてから彼と食事に出かける。トプカナ通りにある。New Cafe Jheelと言う店に着いた。彼はこの店に良く来るようであった。彼の名はHASSAN、実はオーストラリア人で、民主化運動のどさくさで両親と離れ離れになり、今はダッカでリキシャ引きをしているという。彼の妹は日本にいて仕事をしているし、彼自身も色々な国を旅行したことがあるそうだ。彼は地方の都市のことも詳しかった。食事はチキンカレー(違ったかな)。最後にチャと言う甘いミルクティーを飲むのが習慣らしい。結局我々は明日クルナという小さな都市へバスで行くことにした。ただ、バスの乗り方が分からないので彼に明日また来てもらうことにして別れた。
6時過ぎに目が覚める。HASSANとは8時に待ち合わせをしているのでチェックアウトをして外へでる。彼はなんと7時からホテルの前で待っていてくれた。まず、朝食を食べに行く。小さなレストランでチキンカレーとナンを食べる。量がとても多いが、なぜかどんどん食べられるから不思議。彼に両替をしたいことを話すと、「銀行だと高い手数料がかかる。ヤミ両替をしないか。」と持ち掛けてきた。なんとなくいやな雰囲気になってきたが、いちかばちかで、頼むことにした。ヤミ両替地帯では、札束を持った男達がたくさんいて大声で叫んでいる。我々はHASSANに全てを託すことにし、私は100ドル紙幣を彼に渡した。レートは1US$=44tk,100ドル札なら44.5tkである。これを持ち逃げされたら12,000円か、まあ、その時はその時で仕方ないな、とまで覚悟した。彼は我々を安全な場所まで連れて行き、両替された大量のタカを全て我々に渡した。彼が両替商からもらった1本のタバコが彼の唯一の利益だった。私はこれで、彼が私たちを騙すつもりで行動しているのではないことを感じた。その後クルナへ行くバスの出ているところまで行った。バスは朝と夜だけ出ていて、今から乗るなら今夜のバスになることが分かった。我々は21時出発の夜行バスを選び、切符を買う(300tk)。しかし時刻はまだ10時過ぎ。つまり今夜まで宿無しで昼の長い時間を過ごさなければならなくなった。
国会広場まで行き、その公園の木陰で手紙を書くことにした。HASSANはピクニックシートを取り出し、我々のために敷いてくれた。「外国人のリキシャ引き」として彼の事を記述した雑誌や彼の妹からの手紙を見せてくれた。2時間くらい木陰にいたが手紙が出来上がったので出発。といってもこれからどこへ行くというあてはない。彼が家に招待するといってくれたので、行くことにした。街の大通りから外れ、彼のリキシャはどんどんと小道に入っていく。でこぼこの道路の脇にかろうじて建っている小屋やひどいものではドブの上にかぶせた小屋の一つ一つがそれぞれの家庭の家らしかった。煉瓦造りのしっかりしたものもあれば、竹製で嵐が来たら飛んでしまいそうな物もあった。この貧しい家並みこそが本当のバングラデシュなのかもしれない。
HASSANの家は、竹を編んで作った長屋のまさに一室だった。4.5畳程しかない地べたに、2畳大のベッドがある。妻と3人の子供の一家5人がここで生活しているのだ。部屋にはラジカセが1台、そして何枚かの写真、いくつかの食器、全財産が入っていそうな鞄、天井のファン。これが彼の家の全てだった。トタン1枚の屋根は外の暑さをそのまま伝え、ファンが熱い空気を少しでも涼しいものにしようと懸命に回っていた。彼は我々をベッドに座らせ、マンゴウとココナッツ、新しく買ってきたファンタでもてなしてくれた。シャワーを浴びたいというと、彼は私をルンギーに着替えさせ、水場に連れていった。竹の柵で囲われた石畳の場所の中央に井戸があり、ここで行水をする。井戸水の冷たさがとても心地よい。シャワーが終わると、奥さんが昼食を出してくれた。豆の入ったカレーをご飯にかけて食べる。野菜はニガヨモギとナスのようなもの。彼ら一家も地べたに座って一緒に食べた。リキシャ引きではきっと毎日の生活にも苦しいのに、我々にこのような食事を出してもてなしてくれたことに心から感謝した。
一休みした後、川を見に行くことにした。オートリキシャに乗り川へ向かう。港には大小さまざまな船が折り重なるようにして接岸していた。旅客船らしい大型船はしかし、どれもほとんど船室はなく、甲板の上にベンチが付いているだけだった。小船をチャーターして川をぶらぶらする。人が多いこともあって船の量も半端ではない。船上でHASSANは、日本にいる妹はものすごく稼ぎがいい事、でも彼は少ない稼ぎでも一家を養っていること、なるべくお金を節約するため外では食事をしないことなどを話してくれた。陸に上がると市場のような通り。道は狭く、リキシャがやっとすれ違える幅を前や後ろに注意しながら歩く。ここでもいろんな人が"Hellow! What your country?"と話しかけてくる。カフェで休憩した後、夕食を食べにNew Cafe Jheelレストランへ向かう。
今日の夕食はチキンカレー。ご飯の中に大きな鶏肉が入っていてびっくり。とてもうまい。しかし、カレーの汁の中にほとんど具が入っていないのはこの地のカレーの特徴なのだろうか、ちょっと物足りない。食後オートリキシャでバス乗り場へ向かう。HASSANと一緒に、荷物を持った状態で3人乗るのはかなりきつい。
ほとんど渋滞せずに、バス乗り場に着く。昼間切符売場だった窓口の奥の部屋は待合室になっていた。HASSANはバスのスーパーバイザに我々のことをよろしく頼んでいた。翌朝6時になるまでは通りへ出ずにバスの降り場で待つように、と。HASSANは今日一日、仕事をせずに我々に付き合ってくれた。それはあまりにかわいそうなので、彼にいくらかのお金を渡した。彼はお金をもらったことがちょっと不本意そうだったが、今日一日家族のための仕事ができなかった代償だ、と言って納得してもらった。
エアコン付きのバスは、高いだけあってかなり快適である。シートも良く倒れ、揺れもない。休憩中にがんがん鳴る音楽がうるさいのが不満だが。一度目が覚めたときは、バスはフェリーに乗っていた。窓の外はすぐ川面で、まるでいかだのようなフェリーらしかった。次に気づいたときは終点に着いていた。
バスの運転手からも、6時になるまで動くなと言われた。それまでの間、ちむが現地の人と話して、現在地を教えてもらった。結構町中まで来ているようだった。6時を待って、HASSANに薦められたパークホテルへ向かう。通りの店のシャッターはまだ閉まっていてとても静かだ。行き交う車もまばらである。朝の6時だったが、フロントはやっていてチェックインできた。160tkの安い部屋は窓がなく、おまけに今は町中停電だという。これはたまらないので窓付きの240tkの部屋にする。蚊帳付きで、シャワートイレは付いているが設備は質素で暗い。取りあえずここにする、がファンが回らないのでとてつもなく暑い。シャワーを浴びて、窓を全開にし、蚊取線香をつけ、蚊帳を張ってベッドに倒れた。
8時ごろになって、停電が直った。ファンも回り、やっと快適になった。朝飯を食べに駅の方へ歩く。周辺の労務者用のレストランらしい店に入る。適当に頼むと、小麦の皮のようなもので芋カレーを包んだお菓子のようなものが出てきた。結構腹になる。デザートに甘いお菓子。値段は結構安い。食後、駅へ行く。ベンガル語の時刻表しかない。ヤードにはInterCityの車両が留まっていた。レールは広軌で、車両や車輪もとても大きい。その割にはレールの敷き方はいいかげんで、レールの繋ぎ目で脱線しそうなほどだ。早速子供たちが集まってきて、写真を撮れとせがむ。一番うるさいガキは2回も写真に写ったことをずっとみんなに自慢していた。
一旦宿に帰り、手紙を書き、それを出しに郵便局へ向かう。外は曇っていてそれほど暑くない。郵便局へ行くと。係員がカウンターの中に入れと言う。たかが手紙を出すのに一々尋問されるのだろうかと心配になった。が、何のことはない。その郵便局員は外国人のヘンプレンドを探していたのだ。メモ用紙に我々の住所を書けという。「手紙を書くから返事を書け」と彼は言った。さらに「日本へ行きたいので手伝って欲しい」とも言ってきた。手伝えって言われても、「VISAが必要だし、それを手伝うことはできない」とちむが答えた。うーん。うまい回答。その後ファクスを出しに行く。近くにあるビジネスセンタでは国際電話やファクスの取り扱いをしている。ファクスは送信にかかった分数で計算する。今回は1分以内なので110tkだった。
市場へ行くことにしよう。川伝いに市場があり。機械やサンダル、布を売っている。帽子が欲しいのだがなかなか見つからない。"Cap"と叫んでいると、店へ案内してくれた。野球帽25tk。値切るのは、忘れた。道に迷いながら港を見てホテルに帰る。今日やることはすべて終わった。後は夕方に食事に行くだけ。実に怠惰である。
5時ごろ、ちょっと贅沢に○○銀行の上にあるHotel Shauravレストランへ。○○とナンが出てきたがこれが今までにないくらいのうまさ。ナン自体に味がついていて、そのままでも十分食べられる。肉はちょっと辛く、インド料理っぽい。韓国に10年いたという店員が話しかけてきた彼の英語はとても流暢だ。値段も安く2人で88tk。2tkをチップとしてあげる。雨が降ってきたのでホテルへ戻るが途中でビスケットのようなお菓子を買い込む。味は甘いクッキーパンのようだ。2個で1tk、安くてよい。
クルナで特にやることがあるわけではない。サバーグン国立公園への観光拠点になっているらしいが、今はシーズンオフで時間もないため今回は諦めた。クルナに来た時に、私は急に列車に乗ってみたくなった。Lonely Planetによると、ジョソールという都市まで鉄道で行くことができる。ジョソールからダッカまでは朝と夕に飛行機が出ている。ので、明日の朝クルナを出れば、鉄道旅行と飛行機旅行を両方楽しむことができる。そうと決まれば、ビーマンバングラデシュ航空の事務所へ行って明日の航空券を手配することと、駅へ行って明日の列車の切符を買うことが今日やるべきことの全てになった。まず航空会社で航空券を買う。事務所にはコンピュータの端末が置いてあり、オンラインで予約ができる、意外とシステム化されていることにびっくり。ジョソールからダッカまでは750tk。それでも、現地の物価に慣れた我々にはかなり高い額にみえる。その後郵便局へ行ってはがきを出した後、ホテルへ戻る。
しばらくして、ファクスを出しにビジネスセンタへ行く。その後、急にフェリーの出ている港へ行ってみたくなった。リキシャで走っていると、自転車に乗った高校生がついて来た。彼も一緒に行きたいというので3人で川岸まで行く。川を越えて向こう岸へ行くフェリー乗り場はたくさんのリキシャや車でごった返していた。脇にあるお菓子屋でパンを食べる。甘くておいしい。一緒に飲んだマンゴウジュースもしつこくなくて、さっぱりした味で良い。しばらくぶらぶらした後、高校生君が我々のホテルの部屋に来たいという。彼がたとえどういう意図であっても、これは絶対まずいと思った。ホテルの前で会えばいいだろうというが彼は納得しない。この国の人はお客をレストランなどではなく自宅でもてなす習慣なのでホテルの部屋に来たい気持ちも分かるが、だからといってそれは無理というもの。結局「たとえ友達であろうがなかろうが、私たちは見知らぬ人を自室に入れない。これは旅行者が安全を確保するためのルールだ。」の様なことをちむが言って納得してもらった。うーん。僕だけでこの立場に立たされたときに同じ事が言えるだろうか。
高校生君は約束の時刻から10分ほど遅れてホテルに現れた。バングラデシュ人は時間の約束を守れない習慣らしいので、約束通りの方だろう。駅へ行き、明日のジョソール行きの列車を聞く。駅へ行く途中で昨日のうるさいガキがまたいた。相変わらず写真を撮ってもらったことを自慢している。こいつら他にやることないんかい。明朝9時30分の列車があり30分前に切符売場へ来いということだった。その後、高校生君が我々の住所を教えて欲しいということで、ちょっとしたレストランへ行って住所を教える。と、彼が夕食を頼んでしまった。3皿出されたカレーを前に、我々は「まさか」の場合を考えてこれを食べないことにした。金は我々が払うが、この食事は食べないという奇妙な主張をちむは苦しみながらも説得力のある説明で主張した。確かに見知らぬ人と一緒に不用意に食事をして中に何か仕組まれていて、気がついたらみぐるみがなかったらしゃれにならないもんな。どこかでけじめをつけておかないと、そのうち痛い目に遭いそうだ。高校生君は帰り際に彼が帰宅するためのリキシャ代100tkを払って欲しいと言い出した。きみねー、リキシャで100tkも乗ったら街を出て人のいないとこに行っちゃうよ。もうちょっとマシな嘘つけよなー。「歩くと2時間かかるんだ」と言うので「じゃあ9時には家に帰れるじゃん、のおぷろぶれむ」と言ってやった。まあ、我々の食べなかったカレーを折詰にして持って帰っていることだし、それで我慢しなさい。
7時過ぎに目が覚める。今日は午前中の列車でジョソールへ向かうので忙しい。シャワーを浴びて、チェックアウトをして、Hotel Shauravレストランへ行く。もう店内は朝食を摂る客でいっぱいだった。適当に頼むと、レバー肉のカレーとナンが出て来た。昨日の朝食よりも格段においしい。ナンが冷えているのがちと不満。この味付きのナンがたまらなくうまい。塩味と油が適度に効いていてこれだけでも食べられてしまう。食事の後。昨日の高校生君とばったり会う。彼は「手紙を書け」だの「写真を送れ」とか「家族の写真を送れ」としつこいくらい言っている。テキトーにあしらう。
駅で9:30の列車の切符を買う(15tk)。列車は日本の客車2段式寝台に似ていて通路側にさらに1列座席がある。上段寝台のところは荷物棚のようだが、毛布を敷いて寝てしまっている人もいる。9:31に出発、正確なダイヤである。軌道は広軌だがレールの敷き方は結構いいかげんだ。車輪の直径が1m近くあるのでこれでいいのかもしれない。速度は大した事がないのに、下からはガチャガチャと車輪の音が派手に聞こえてくる。サスが良く効いていてそれほど揺れないが、縦方向に揺れがあるのでまるで船のよう。速度は60km/hくらいは出ているだろうか。しばらく家々の軒先を走った列車は、すぐに田んぼの中を走る。日本の田と同じように、イネが整然と植えられている。が、部分的に稲の生育が違うので時期をずらして育ているのだろう。車内ではバングラデシュ人が話しかけてくる。その時計やカメラはいくらかとか、どこへ行くのか。しかし英語があまり通じずほとんど会話にならない。この列車はMail Expressで日本で言う急行列車のようだった。駅にはちょぼちょぼと止まり、そのたびに人が乗って来て車内は混む。それでもひどい混雑ではない。日本よりはよっぽどマシだ。
気味が悪いくらい定刻にジョソールに着いた。といっても空港へ行くまでの間、やることはない。取りあえず市の中心部まで行き、郵便局でハガキを出す。再び回りの人に取り囲まれ、質問攻めに遭う。その後Crown Hotelへ行き、昼食。マトンのカレーと野菜のカレーを食べる。野菜のカレーはかなり苦い部分があり、しかも辛さの「当たり」が所々にある。やはり肉の方がいいな。チャを飲みたいといったら、ないので他の店から買って来てくれたようだ。このチャがまた甘く、ミルクに砂糖がたっぷり入っている。食後にこれを飲むのが至福である。さらに名物のミスティーに挑戦してみよう。柔らかいパンのようなものを団子状に焼いて甘いシロップをかけたものである。まさに甘さの塊。歯が溶けそうなくらい甘い。ミスティーを食べた後にチャを飲むと、甘いはずのチャが普通の味になるといえば分かってもらえるだろうか。
昼食も終わり、やることがなくなった我々は、重い荷物を担ぎながら街をウロウロする。まずは市場へ。サリーやルンギー、ベルトなどの土産物を買う。価格は安くはないが"Discount?"と言ってもみな口々に"Fixed Price"と言った。後述の在バングラデシュ1年半の日本人に聞くと、外国人には高くふっかけているらしく、彼でさえ現地物価では物が買えないと言っていた。
買物も飽きたのでリキシャでパスステーションへ行って見る。でも、立派な発着所があるわけではない。パス会社の事務所があり、バスがその辺に無造作に止まっているだけのものだ。食事を売る店や露店があり、いかにも旅の始まりといった場所で気分がいい。しばらく歩いて、飲み物を飲みながら休憩する。たちまち人垣ができる。ちむは現地の人に日本の硬貨を見せたりして楽しんでいる。私は、今回は成田を硬貨ゼロで出国したのでそのような見せ物はないのである。海外旅行には遊び用に日本円の硬貨は重要だ。
休憩も終わったので、人垣の中のリキシャに乗って空港へ向かう。街を出ると静かな並木道が続き、車通りもなくとても気持ちいい。バングラデシュでこのようなのどかな光景が見られるのは貴重だ。併走するリヤカー自転車に乗っていた人が「今日は広島の日だろ」と言っていたような気がする。みんな良く日本のことを知っている。そう言えばジョソールの街中で声をかけて来た人は阪神大震災のことを知っていた。
草原をしばらく走ると、リキシャは小さな空港に着いた。まだ出発まで時間があるので人影もまばら。空港の写真を撮ろうとしたら係員に制止された。撮影禁止のようだ。16:25になると「なんとなく」チェックインが始まる。だんだんと人が増えて来て、ビジネスマンや外国人旅行者も目に付くようになってきた。搭乗を始めるが、これが一苦労である。X線装置がなく、荷物を全部開けさせられた。箱入りウェットティッシュの中身や、土産物の袋まであけられてしまった。しかも極めつけはトランシーバ用に持っていった2台のPHS。しかも耐衝撃用に靴下に入れて着替えの中に詰めていた。これでは怪しまれない方が変だ。まあ、トランシーバだということが分かってもらえて無事に通過。これだけ厳重にやっているんだからハイジャックを起こしたら只じゃすまないぞ。後で聞いた話だとジョソールの空港は荷物検査が異常にいやらしいとのことだった。
飛行機のところまでは歩いていく。非常にのどかである。空から見る大地は所々水浸しの田が広がり、中には池の中に柱だけ建っている家もある。洪水に襲われた家屋なのかもしれない。飛行時間は僅か30分。本当にあっという間でダッカについた。
空港を後にして、今度は市内までバスで行くことにした。空港の警備員にバス停の場所を聞く。警備員は親切にも我々が道を渡るために車を止めてくれた。ありがとう。バス停で"Dhaka City"と叫んでいると気がついたらバスに乗っていた。乗客が我々のために席を詰めて座らせてくれた。しかもトプカナ通りのASIA HOTELに行きたいといったら、乗客の一人が車掌に、私たちに降り場所を教えるよう頼んでくれた。みんな何とやさしいのだろう。私たちは日本に来る外国人旅行者に同じ事をしているだろうか。日本語の分からない彼らにとって、日本語の案内しかない交通機関を乗り降りするのはとても不安で心細いものだろう。日本でも外国人旅行者には手助けしてあげる必要があるなと思った。
車掌の指図でバスを降り、リキシャでASIA HOTELまで行く。バス代8tkにリキシャ7tk。空港から2人で15tkしかかかっていない。うーん。安い。HASSANが町中を案内していたとき、彼が「安い宿」と言っていたのがこのASIA HOTELだ。ダブル225tkは金額的に安くはないが、無駄に広い室内と広くて清潔なシャワートイレなので悪くはない。ホテルの人の話だと、今日ずっとHASSANが我々を待っていてくれていたとのこと。確かに3日前の夜にバス乗り場で別れるときに「8月6日にダッカに戻る」「飛行機より安いからバスを使う」と言ったのだが、今日使う飛行機代を考えに入れて両替を、しかもヤミでしていて再両替が効かないので、どちらにしろ飛行機に乗ることは決まっていたのだった。HASSANにはちょっと申し訳ないことをしたかな。
Cafe Bagdatで夕食。2階へ案内される、一瞬「料金が高いのでは」と考えてしまったが、ここは中国ではないのできっと大丈夫だろう。ビーフの○○があるという。バングラデシュでビーフを注文しても今まで「ない」と言われ続けて来ていたので迷わず頼む。店の給仕のオヤジはとてもおしゃべり。仕事もせずに、我々に「バングラデシュではどこへ行ったのだ」「何日滞在するんだ」など聞いてくる。運ばれて来た食事はとてもおいしい。バングラデシュで初めて食べた牛肉も牛の臭みがなくてとてもすっきりした味、なかなか良い。そうこうしているうちに停電。ダッカでは初めてである。自家発電になるかと思いきや、店員がテーブルに蝋燭を配っている。クルナで泊まった自家発電付きのホテルは実はとてつもなく設備がいいのでは?と思ってしまった。窓の外は街灯もなく、車のライトとビルの自家発電ライトだけが照っていた。
ホテルに戻ってしばらくすると停電も直った。鉄道+飛行機の旅も終わり、今日は疲れた。寝床でベンガル語の数字の勉強をしながら寝る。
今日はバングラデシュ最終日。HASSANが7時にホテルに来るそうなので6時30分に起きる。チェックアウトの用意をして8時20分頃まで待つが、来ないので朝食に出かける。昨日のCafe Bagdatの隣の店に入る。この辺りは安ホテルや安レストランがいくつかあり、外国人旅行者のタムロ場にそのうちなるのかもしれないが、今はそんな気配はまだない。店先で作っている料理を指差す。出て来たのは卵と野菜を炒って焼いたもの。オムレツだ。味付きナンのおかずにして食べる。塩味が良く効いていてとてもうまい。
結局HASSANとは会えずにチェックアウト。今日は市場で買物をしたいので急いでいるのだ。○○モールまでリキシャで行く。空気はとても爽やかで過ごしやすい。毎日こんなならいいんだけど。まだ9時40分、10時開店のようだが1軒だけ開いていた。ここで麻製品を買う。さすが土産物モール、価格表示がドル建て。合計US$15といえば600tk、結構な買物である。
もう一つ、○○モールへ行ってみよう。Sonargon Hotelの中にあるので高級ホテルのロビーの中を場違いな格好をした2人組が歩くことになる。気にしない。そこで、旅行者とは思えない日本人に会う。彼女は海外青年協力隊でバングラデシュに来ていて、現在は現地の人達の現金収入を確保するため、土産物店を運営しているとの事。土産をあさっている我々が行かない手はない。早速案内してもらう。
大通りから少し入ったところに、その店はある。農村の人に工芸品を作ってもらって。それらをここで売っているのだ。お土産用の小物がたくさんならべてある。バングラデシュでこのような陳列を見るのは初めてなので違和感がある。買物をした後、彼らの事務所へ案内してもらいお茶をご馳走になる。日本人の隊員は5人ぐらいいて現地人スタッフの指導にあたっている。今日バンコクへ帰る話をしたら隊員の一人が「僕も早く帰りたい」といっていた。ここの人達が外国人にあまりに興味を持っていてしつこいのがいやならしい。「1週間ならいいかもしれないけれど、1ヶ月いればいやになるよ」という彼の話は、なんとなく分かる気がした。
空港まではオートリキシャ50tk。快調に飛ばすが途中でエンジントラブル。ガソリンスタンドへ行って給油する。オートリキシャの運転手はガソリンスタンドで支払う金を持っていなかったので我々の運賃を前払いさせ、それを支払に充てた。しかし直らない。プラグをはずして磨いたり、挙げ句の果てには押しがけまでするが2度とエンジンはかからなかった。結局彼からお金を返してもらい別のオートリキシャに乗り換えることにした。といっても払った50tkの一部はガソリンになってしまった。彼は2tkだけ手許に残し、24tkを返した。さらに別のオートリキシャを捕まえて、価格交渉までやってくれた。「40tkにしてもらおうとしたけど50tkだって、ごめんね」言葉が通じなくても、彼がそう言っていることは良く分かった。なぜか彼と握手をして別れる。彼のような人はその日暮らしがやっとの貧しい人達である。もし他の国で同じ事があったら、ここまでやってくれるだろうか、そう思うと彼の責任感には非常に感動した。しかし2tkだけ持っていて彼はどうするのだろう。
少し時間とお金を食ったが、その後は順調に走り空港着。しかしここで大きな誤算。旅行ガイドに書いてあった国際線空港税300tkを徴収されなかった。出国したところに徴収カウンターがあったが、「そのまま行け」と言われた。あれ、航空券で前払いしてるのかな。がびーん、でも結局300tkは出国したら紙切れになるんだぞぅ。まあ、また来るからいっか(ほんとかよ)。
タイ航空の機内に入ると、もうそこはバングラデシュではない。巨大な機体、人の顔ぶれ、整った設備。気分はすっかりタイである。この機内で大韓航空機の墜落事故のニュースを知る。頼むから落ちないでバンコクまで飛んでくれ。
我々はタイに「帰って来た」。日本からタイに降り立ったときとは比べ物にならないほど、タイが近代的だという印象を受ける。バンコクについて例によって59番バスでカオサン通りに向かうがこれがまた大渋滞。乗ってから2時間以上経っていて、民主記念碑はすぐそこなのにびた一文進まない。乗客がどんどん降りて歩道を歩き出す。結局我々も歩いてカオサン通りまでたどり着く。空港から2時間40分かかった、新記録。
ちむが翌朝早いので、今日の宿は24時間開いているNAT GH。ここのねーさんとちむは顔見知りだ。私は初めてなので"Show us the room."と言うが、全然取り合ってくれない。ま、仕方ないね。洋風のレストランで夕食。タイのチキンカレーを食べる。スープ、味、辛さ、バングラデシュのとはまるで違う。最後に辛さで味がわからなくなるお決まりのタイ料理である。その後インターネットカフェに行く。カオサン通りには、外国人旅行者のために有料でインターネットにアクセスさせる店があるのだ。しかもカオサン通りらしく夜10時まで営業している。WindowsやMacの端末が10台程あり、欧米系の旅行者が端末に向かっていて、非常に繁盛していた。会社の友達にメールを書く。
朝早く、まだ夢の中にいる頃、ちむはスコータイへと旅立っていった。いい旅をありがと。気をつけてね。
といいつつ私の方は寝冷えでしばらくダウン。ベッドとトイレを何回か行き来して、気がついたら9時。そろそろ今日の仕事を始めないといけない。今日やることは旅行社の調査。カオサン通りの旅行会社を何軒か回り、バンコク発の航空券を、日本から(1)安い通信費で、(2)便利に買えて、(3)夜遅くでもカオサン通りで航空券を受け取れる、旅行社を探すのだ。そのための質問事項を片言の英語で一人で言うのはとても骨が折れる。ちゃんと伝わったかも分からないし。相手の返事を正確に理解できたかも怪しい。その苦労の結果は別の項に譲る。
時間ができたのでバンコクの街を歩く。以前来た時よりもトゥクトゥクが少なく、ほとんど見かけない。当局がトゥクトゥクを排除しているようで通行禁止の場所も多いらしい。今時2サイクルエンジンの煙をバタバタ撒かれたらたまらないからね。そんな事もあって、街は車とバス、バイクだらけ。ダッカからバンコクに来ると、「空気がいい」と思ってしまう。しかし、暑い夏の日差し、交通ルールを守って車道を整然と走る多量の車、どこかで見たような....東京と同じだ。バンコクを歩いていて、少なくとも大通りでは、異国を感じなくなってしまった。私がバンコクに慣れたのか、バンコクが東京に近づいたのか、どちらだろうか。
チャプラーヤ川を渡り、解剖学博物館へ行くことにする。国立博物館の前の公園でタイ人のアーミーに会う。今日は休暇で、3連休を利用して彼女に会いに行くのだそうだ。熱々でいいすねえ。彼の話だと、今日は仏教のお祭りでお休み、お寺以外の観光には絶好の日だという。「水上マーケットはボートを借り切って見に行けるし楽しいよ。普通THB1000だけど僕ならTHB700まで負けさせられるね。」はあ、そうすか。水上マーケットは彼が一緒に行ってくれないなら、一人でTHB1000なんて大金もったいなくて出せないし、一緒に行ってくれるんなら益々怪しいから断らなければいけない。どっちにしてもだめだな。彼は解剖学博物館は改修中で休館だといっていたが、取りあえず川も渡りたいし、行くだけ行ってみることにする。
チョプラーヤ川の渡し舟は渡し場から上流方向と下流方向の2方向に渡る船が出ていて、これをジグザグに使えば川に沿った移動にも使える。もっともそんな事をするのならチャプラーヤ・エキスプレスに乗ればいいのだが。今回は必要もないのにこのジグザグをやってしまった。船が出てから「あれー、そっちに行くつもりはないんだけど」と言ってももう遅い。結局目当ての向こう岸に着くまでに1時間以上かかった。
解剖学博物館は果たして、やっていた。守衛に"Museum?"と聞くと案内してくれた。近くの大きな建物は工事中だったので、現在は仮設状態なのかもしれない。ここにはヒトの骨、身体、あちこちの部位がホルマリン漬けの標本を中心にして大量に展示してある。完全な骸骨が生前の写真と一緒に展示したもの。人体の実物断層標本、CTじゃなくて本物を切った断層標本もの。仰向けに寝ている男女の死体を一部切り取って中が見えるようにしたもの。奇形児の標本など。結構すごい展示が多かった。医学の勉強にすごくなるだろうけど肝心の英語の説明が専門用語ばかりでさっぱり分からない。でもここは一見の価値あり。入場無料。
駅まで行ってみよう。カオサン通りの近くから運河ボートがホアランポーン駅まで行っている、6時30分から19時まで15分おきに出発。駅までの所要時間20分は道路が渋滞しているバンコクでは駅までもっとも速いアクセスだろう。ボートは細い運河を通れるように前後に細長い、運河といってもドブであり、水面は黒く、悪臭が漂う。そんな中を水しぶきをあげて進むので汚水を避けるために皆伏せている。乗り場はかなり狭く、乗り降りは命懸けである。始発から終点まで乗るには乗り降りは全然問題ないし、満員になることもない。。駅に着いたら18時。突然国歌が鳴り出し、皆一斉に立ち止まっている。国旗を降ろす儀式だ。音楽が鳴り止むと何事もなかったかのように歩きはじめる。その差が妙に面白い。駅からカオサンまでのバスは渋滞にはまり45分かかった。
時間もなくなってきたので空港へはエアポートバスを使う、カオサン通りの旅行社の扱いよりTHB10安いテラスGHで21:00のバスを申し込む。その後、マッサージに行く。暗く怪しい部屋に案内されるが普通のタイ式マッサージだった。30分コースでTHB70。マッサージの女性が「あと30バーツ、1時間」とか日本語で言っているが時間がないので断る。あんまりすっきりしなかったのは、マッサージが短かったのかそれとも、今回の旅行はそれほど疲れなかったということか。かえって東京で仕事をしている時の方が疲れているかもしれない。
空港バスは20分遅れて出発したが、道路はすいていて22:30には空港に着いていた。屋根に載せた荷物が落ちないか心配だったが、きちんとネットをかけてあって、空港についてもちゃんと屋根に乗っかっていた。
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渡辺英俊: hidetosi@nabe2000.com